歴史 History

大宝山権現院千光寺は標高140m、
尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、
(大同元年・806年)弘法大師の開基で
中興は多田満仲公と伝えられています。

千光寺の歴史

開基は平安時代の始め大同元年(806年)で、後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えている。

境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。
玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。

本堂は貞享三年(1686年)の建立で、この地方には珍しい舞台造り、堂内に置かれた須弥壇は応永から永享(1394~1440年)頃の作で、和様に唐様を加味した形式で、ここに安置された本尊は秘仏の千手観世音菩薩。

鐘楼の鐘は除夜の鐘でもおなじみのもの「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里ひびく」と俚謡にまでうたわれている。

本堂までの長い階段の左右には、かつて若杉慧の「野の仏」にも紹介された古い石仏や除虫菊の創始者上山英一郎翁の頌徳碑や児玉不揺の筆塚などもある。

この寺の眺望は我が国随一といわれ山頂から八合目あたりを巡る「文学のこみち」は、尾道の風光を愛でた文人墨客の作品を天然の岩に刻んだ遊歩道である。

中国観音霊場第十番札所、備後西国観音霊場第七番札所

●ご仏像・仏塔

千手観世音菩薩 (市重文) 本堂ご本尊
不動朙王 (市重文) 護摩堂に安置
地蔵菩薩 (市重文) 護摩堂に安置
石造阿弥陀三尊像 (市重文) 本堂下参道脇(磨崖仏)
須弥壇 (市重文) 本堂に安置
阿弥陀如来 (市重文) 護摩堂に安置
石造逆修塔 二基 (市重文) 本堂下参道脇

千光寺の想い・ご利益

本尊千手観世音菩薩は聖徳太子の御作と伝えられ、三十三年に一度開帳の秘仏。昔から「火伏せの観音」と称せられ、火難除けに霊験あらたかで、今は諸願成就の観音様としてお詣りが絶えません。尾道は往古より港町として栄え、風光明媚なことから多くの文人墨客が訪れています。中でも頼山陽は「六年重ねて来たる千光寺」と漢詩にも詠んでいます。

昭和初期の千光寺の風景

千光寺の伝説

千光寺にまつわる“尾道で最も有名な伝説”が『玉の岩』伝説です。千光寺の象徴ともいえる“玉の岩”の天頂部には、その昔光る玉がありました。尾道には“玉”にかかわる地名もあり、千光寺の名前の由来もここからきていると聞きます。